[リレーコラム] OSC100回目に向けて(Raspberry Piユーザグループ 太田)

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Raspberry Piユーザグループの太田です。
OSCもついに100回を迎えるんですね、まずはおめでとうございます。

OSCの日本のOSSコミュニティへの貢献は大きく、サーカスのように
全国に回る様は、ある意味全国OSS文化祭!ってイメージで大変そう
だけど頑張ってるなぁという感じをうけます。今後もぜひぜひ200回に
向けて、頑張っていければと思っております。

■OSCとの出会い

OSCに参加されている常連の方はご存知かと思いますが、
僕はかつてOpenSolarisユーザグループに所属していました。
OpenSolarisを当時格安といわれたIntel Atomベースのネットブックに
ポーティングするというプロジェクトを当時のSunの中国のメンバーと
ともにはじめてた矢先に、OSCに参加してみようとグループメンバーから
の話があり、当初のSunはマーケティングの一環としてコミュニティへの
貢献には積極的でしたから、参加してみようということになりました。

当初はブースもセッションも同様でしたが、セッションではほぼ満員になる
など思ったより人も多く、OpenSolarisがネットブックに載るんだということ
が斬新的に見えたのでしょう、正直Sunというベンダーというバックがついて
いるコミュニティであるためアウェイであり少し疎外感を感じましたが、
多くの人がOpenSolarisコミュニティのジョインを歓迎してくれました。

ホントありがたく思ったのを覚えています。
これがそのときの僕の写真ですね、あのときは若かった(笑)


そして僕にとって二度目ですね、Raspberry Piユーザグループでの
セッションはまた戻ってきた!という実感がわきました。
OSCと切っても切れない関係になったなぁ(笑)と実感する次第です。

■OSSでグローバルを目指して、きっかけはたまたま

せっかくの100回なので、僕のOSSに関するイズムみたいなものを書い
ておきたく思います。

僕がやっていたOpenSolaris for Eee PCのプロジェクトはOpenSolarisの
公式プロジェクトとして、僕、Sun中国のメンバー、Sunオーストラリアの
メンバーと始めたグローバルプロジェクトでした。

きっかけは日本Sunの社員とEee PCへのポーティングをやってみない?
で盛り上がり、先行してOpenSolaris for Eee PCをトライアルで使っていた
Sun中国のメンバーにメールを送って教えを乞うたところから始まりました。

彼らと僕がこのEee PCへのポーティングを進めているうちにSun中国の
メンバーよりOpenSolarisの公式プロジェクトにしないか?という話に
なり、opensolaris.orgへのページをいただくのと、eeepc-discussという
プロジェクト用のMLの管理者の権限をいただきました、ただ、これはすん
なりとうまくいったものではありませんでした。

当時はこのプロジェクトを立ち上げるのにSun社員でない僕をいれること
に内部でも異論がありました。しかし、Sun中国の一部メンバーやこのプロ
ジェクトを応援してくれるSun本社のメンバーの半ば押し切りによって立ち
上げることができました。

これによって、x86 SolarisのポーティングをやっていたIntelのメンバーやら
このOpenSolarisを身近に使おうという世界各国の人々と知り合いになりまた
プロジェクトもそれに応じて大きくなっていきました。

Eee PCというPCとしての障壁の低さもあったのでしょう、
東南アジア、南米、アラブ圏….とにかく多くの国から、応援、アイデア、
もろもろいただくことができました。

■グローバルなOSSのメンバーの一人として

OpenSolaris for Eee PCも全世界のOpenSolarisのコミュニティから賞賛を
受けていくうちに、日本Sunの方の推薦をいただき、また多くの海外の
OpenSolarisのコミュニティコアメンバーの賛同もあり、Core Contributorと
いう名誉をいただくことができました。

また海外でもOpenSolarisのグローバルイベントCommunityOneでトークをし、
世界各国とのOpenSolarisコミュニティリーダー会議というものにも参加しました。

余談ながら当時のOpenSolarisコミュニティはそのコンセプトでグローバリズム
を意識していて、定期的なグローバル会議もテレカンファレンスでしばしば開催
され、各国コミュニティの現状を共有したり、世界共通での問題点を議論したり
しました。

こういう経験が自分のOSSへの考えを『世界の中の一つとして』という思考に
させているのかもしれません。

そのリーダー会議第1回の集合写真がこれです。

いろいろな文化があるんだなぁと認識しました。

■オラクルのSun買収、そしてOSSへの挫折へ

周知のとおり2009年に買収が決定し2010年2月のこと、
オラクルよりSolarisのコミュニティを歓迎するというメールが
送られてきました。

しかし、それは従前のSunとは全く違うものでした。
オラクルのグローバルコミュニティの一つとして扱われる、
までは問題のないものでした。

しかしながらSunと違いマーケティングの一環という意味ではオラクルも代わり
ませんがカウンターとなるオラクル側の窓口の人はSunとは違い2人しかいなく、
且つ「これからSunのコミュニティを勉強する」ということで、Solarisのコミュ
ニティはSun内部ではJavaのコミュニティと同様な優遇をSunから受けておりま
したが、GlassfishやMySQL他SunのOSSコミュニティとJavaもSolarisも同様同じ
並びで扱うという話をされました、これはOpenSolarisコミュニティの一部から
反発がありました。

尚且つインドで行う予定だった第2回のOpenSolarisグローバルリーダー会議を
中止されました。これは買収処理前に決まっていた事なので、翻す事はないだろ
うと思っていたので意外でした。

さらに、OpenSolarisはその性質上、Sunの社員がリーダを務めていることが
多かったのですが、Sun(オラクル)の社員によるコミュニティリーディングは
オラクルのコミュニティに対するルールということで禁止され、このおかげで
多くのOpenSolarisコミュニティが自然消滅する形となりました。

このことは予測されえたことでもあったため、Sun社員兼リーディングをやって
いたリーダーはなんとかできないか模索しましたが、決定事項とのことで覆せま
せんでした。またSunからファンドとしてだされていたコミュニティ向けの予算
提供も、同様にこのコミュニティルールによりなくなりかつノベルティもなくな
ったことで後進国のコミュニティが大きな痛手を受けました。一部の国では
OpenSolarisコミュニティはその現地のLinuxコミュニティにSunが『お願い』
する形で作ってもらった経緯もあり、これは実際は事態はもっと深刻だっただ
ろうな、と思います。

そんな苦しい中、僕は他の国の仲の良いOpenSolarisのリーダーとともにオラクル
と話あおう、お互いよい道を模索しコミュニティとして今まで通りのWin-Winの
関係で行けるようにしようと話かけていました。

何人かは同意し、OpenSolarisコミュニティを縮小させぬよう絶やさぬよう一緒に
模索しようと考えてました。そんななかCore Contributorの上位組織である
OpenSolaris Governance boardではオラクルに話し合いのカウンターを立てろと
ある意味無理な要求をたてていたようでした。

致し方なかった、というのもあります、ある国のユーザグループがグループごと
オラクルに対する罵詈雑言を吐いてOpenSolarisコミュニティを解散・離脱した
ところがあったりと耐え切れないところもありましたので。

正直僕は個人的にオラクルのコミュニティ担当者にメールをし今後の方針を早急
にきちんとしたものを示してほしい、その上でこちらと話し合いをとお願いをして
おりました。しかしオラクルからはほかのコミュニティと同列であることと、他の
コミュニティもまだ理解できてないから待ってくれとの一点張りでした。

ただ、僕としてはオラクルのビジネスからすればこれはやむを得ないものだろうな
と思っていたところがあり、まずは待とうと他の知り合いのリーダ、Contributorに
いっていたところ急進的に起きてしまった出来事でした。

OpenSolaris Governace board解散はある意味一方的にボードメンバーによって
決まってしまいました。正確にいうとあるboardメンバーの一名がある意味急進的に
オラクルが担当者を立てないのなら…と騒ぎ立てたところでした。

決定事項でやむを得ないとはいえ、これでオラクルとは膝を突き合わせて話し合う
機会はなくなったなと思いました。またこういう解散という重い声明を発したにも
関わらずオラクルはこのことに全く反応がなかったのは遺憾でした。いったいなん
のために話あおうといってきたのか、脱力感だけが残ったことがいまだもって忘れ
えぬことです。

その後ですが、OpenSolarisのレポジトリがオラクルにより一方的に閉じ、ある国の
OpenSolarisのコミュニティがオラクルの『オープンソース』のマーケティング戦略
に利用されるくらいなら解散すると、とOpenSolarisのコミュニティごとを解散・離脱
しそのフォークであるOpenIndianaのコミュニティに鞍替え、またOpenSolaris自体も
クローズソースのSolaris11に代わりました。

OpenSolaris.orgが閉じる末期このWebページの扉がOracle Solarisになったときは、
僕も含めOpenSolarisリーダの何人かが正直不愉快な思いをしました。Oracle Solarisは
オープンではなくプロプライタリに『生まれ変わった』もの、それを何故….という思い
でした。正直、OpenSolarisが終わったと感じた瞬間でした。

『オープンになったら止まらない』と言われますが、
『オープンソースはいつでもベンダーによってクローズにできる
(生殺与奪を握られている)』と実感をしたことを覚えてます。

そして僕もSolaris 11がx64bitのみ対応となると同時に
Intel Atomを使ったx86 32bitベースであったOpenSolaris for Eeeの
プロジェクトを休止、また2012年には、Governance boardがなくなり
形だけとなっていたCore Contributorをやめる=OpenSolarisコミュニティから
離脱することになりました。

正直OSSに対してというか挫折を味わった瞬間でもありました。

■模索と、そしてRaspberry Piとの出会い。

OpenSolarisから離れ、あとOSSで何ができるだろうと考えたとき、
それは僕の海外とのやり取りの経験をみんなに伝えて楽しさとか海外と
やりあっていく力を身に着けてほしい、そのための協力をするという
ところでした。

Android、ガイガーカウンター、オープンハードといろいろ関わり、
協力をしてきました。’Spread the word’もコミュニティの貢献の一つで
あるということもあって日本のいろいろな様子を海外に向けて発信をして
いきました。なお、元OpenSolarisで一緒だったリーダーたちは他のOSSの
コミュニティに散らばっていて、しばしば今でも情報交換をしています。

OpenSolarisをやっていたころつくづく思ったのは日本は極東の『田舎』
みたいなもので、技術力があってもあまり世界に様子が伝わっていないな、
と思っていました。良く情報交換での海外とのSkypeやGoogle+のチャットの
中で、日本のOSSでなにやっているのか見えないとかで、英語でブログを書い
たり、写真をflickrに上げて解説をつけたり。

でもなかなかそれでも自分には何かしっくりこないところがあって、悩んで
いたときに登場したのが、Raspberry Piでした。正直当初はARMが動く安い
ボードコンピュータぐらいで興味はそれほどありませんでした。まぁありが
ちなArduinoと同じような物だというくらい。

しかし、Raspbrerry Pi登場当時にアメリカのOSCON(O’Reillyのイベント)に
いっていたのですが、そのときアメリカ人たちにRaspberry Piでのユース
ケースや自慢話を聞いたりしたり、Raspberry Piを使ったハッカソン?を
なぜか宮崎でOpenSolarisで一緒にやっていた元メンバーのロシア人とやって
いるうちに愛着というか何か楽しいことが出来るのではないかと思うように
なりました。

特にこの低スペックなPCは出来ても実用的な程度にするのは無理だけど、
それの枠から外れて楽しくやるってことができるのでは?と思うように
なりました。で、このことが昨年秋のOSCにつながっていきます。

■「全力でしょうもないことをやってみようじゃないか?」

昨年秋のOSC東京での出来事。
僕がブースで勝手に電源を拝借しRaspberry Piで遊んでいるうちに回りに
人が集まってきて、Raspberry Pi自慢を相互で開始、そうしているうちに
ユーザグループをつくろうということになり、ユーザグループを結成しよ
うと言う話に。

これがRaspberry Piユーザグループ結成の経緯でした。
で僕が結成メンバーにいったこと、それが「全力でしょうもないことを
やってみようじゃないか?」でした。とにかく楽しんでみよう、そこに
この機械の面白さがあるのではないか?と思いました。

で、あっきぃくんこと大内くんとは以前から知らない事はなかったのですが、
この結成時にEjectをRaspberry Piでやっていた『巻き添え』にしたのはいう
までもありません。なお、はじめてのミーティングのときは、本当にラズペリー
パイを食べて結成というところです。

■世界とのやりとりは同じ、
 細かいプロセスこそ大事であり第一歩

Raspberry Piでの世界とのとのやり取り第一歩は公式ページでの日本の活動
のアピールでした。基本はOpenSolaris for Eee PCを始めたときと変わりま
せん。世界の中にあるRaspberry Piコミュニティの一つだと思って活動する。

このポイントを忘れないように、細かくお知らせをだし、活動を世界に
アピールしてきました。そんな中、Eben Uptonの奥方であるLiz Uptonの
目に留まり、日本語フォーラムの開設、モデレータをまかされる事になり
ました。5月にはEbenとイベントを開催でき、日本の活動を彼にアピール
することができました。

来日後のEbenの日本のコミュニティへの対応は、ホント見違えるくらいで、
これからもどんどんやり取りができてくると思っていますし、ユーザグループ
としてもそういう外へのやり取りを積極的にすすめたいと思っております。

■これからの皆さんへのメッセージ:世界への挑戦は情熱第一!

Eben夫妻の日本びいきもあってか、Eject、RAPIROが公式ページや様々な
メディアで紹介されることで、世界に羽ばたいていきました。
またこれからも多くの人がRaspberry Piを使って、日本だけでなく、自分の
ユースケースを海外に紹介していくことでしょう。今後もっともっと応援できる
体制を作っていきたく考えています。

なにせ僕は始めたころはまず日本をという基軸があって、ある意味僕のように
まずグローバルという考え方は変人?の沙汰でしたが、楽天のグローバル政策やら
もあり今や違いますから。僕のOpenSolarisやOSCONなどで培ったノウハウが応用
できていければ、もっと皆さんの世界が開けていけるのではと信じてます。

ところで、正直今世界を目指すには英語が必要だとかいろいろ事前準備のほうが..と
いう人もいます。僕はこの過去の経験から情熱こそが一番だと思ってます。
正直、EjectもRAPIROも英語が流暢に..というわけでありませんでした。
ですが、彼らには情熱があってEbenに伝わり彼が公式ブログなどで積極的に
拡散してくれた、とうところです。Ebenと今でも5月のイベントで来日の際に
聞いた事を覚えてます。

おおた:『今回のイベントで、もっともスピーカで印象のあったのは誰?』
Eben:『あっきぃ(大内くん)だよ、あとは良く覚えてない』

をいをい…でしたがこれは事実です….
5月のイベントではIT業界の著名な方にしゃべっていただいたのもありますが、
それより大内くんだったのは….びっくりしました。
大阪に帯同した新幹線の帰りでも、大内くんの日本語でのtweetを見て、わから
ないながらも写真からEbenが『あいつはなにやってるんだか(笑)』と奥さんの
Lizと楽しんでいたのを覚えています。

英語はそこそこできればあとは道具であって、僕はそんなところから、
英語をOpenSolarisの活動で走りながら多くの人から学びました。
で、そこそこしか通じなくてもコミュニケートを取り価値観が共有できることも
知りました。で、いまところ結構支障ある部分もありますが、うまくはいってます。
だから、是非是非情熱とわかりやすい『突き抜けた』アピールをドンドンしてほしい
と思います。僕も出来る限り応援していきます。

■謝辞

この場をもってOSSライフでいろいろ支えや指導を下さった方に感謝します。
名前をあげようかと思ったのですが、諸事情がありここでは挙げるのを控え
させていただきますが、この写真をもって皆様に御礼を申し上げたく思います。

で、宮原さん、Raspberry Piコミュニティという新しい
チャンスの場を与えてくれてありがとうございます。
今後ともよしなに。

■追伸

先日OSCであったVLCの外人の人やRaspberry Jamで会ったRedhatのドイツの人に、
『OpenSolarisで活躍している太田さん』といわれ、いろいろ話こまれ、いまだ
OpenSolaris..なんだなとあたらめて実感してます。
これからの目標は『Raspberry Piの太田さん』になることですね、頑張らねば。

※このコラムは、これまでOSCを支えていただいた方に
 思い出を語っていただくリレー連載です。

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